ゆうま「ペニ日記」

韻を踏むペニスによるLove & Penisと性教育。

トイレの神様

「トイレには神様がいるんやで」 
 

 

 

 


そんな歌が数年前に流行ったが、

 

 

 

 


池袋駅JR構内の、公衆トイレ(男性用)に入るたびに

 

 


神様の無力さにがっかりする。

 

 

 

 


汚い。

 

 

 

 


誰のものともわからない(わかりたくもない)液体に固体、粉末や、

 

 

 


おしゃれなデザートのソースみたいなのが

 

 

 

 


飛び散っている。

 

 

 

 


お皿にではない

 


お皿を飛び越えたところに

 

 

 

 


激しく
恐ろしく
飛び散っているのだ。

 

 


「耳を疑う」という慣用句があるが、


こうした現状をふまえると、

 

もはや、「穴を疑う」。

 

 

 

君たちの尿道に肛門は、
君たちが排泄に使うための「穴」は、

オカリナのような穴の空き方をしているに

違いない。

 

 


トイレが古いこと自体は仕方がない。

 

 


トイレの「使い方」が汚い人が多すぎる。

 


そんなとき、


トイレには神様がいるかもしれないが、


神様は、何もしてくれないなぁ、と思う。

 

 


神様がそこにいるのならば、できれば目に見える形で現れていてほしい。

 


 そうすれば、


「やばい、神様に見られてるぞ!」


と思い、神様の視線を気にしながら、
注意深く用を足すであろう。

 


だが、神様はなかなか目に見える形で現れてくれないので、


われわれ人間どもは、工夫をしなければならない。

 

 


例えばトイレに仏像を置いたらどうだろう?

 

 


男性トイレ、各小便器のいちばんうえに、


それぞれ小さな仏像が並んでいるのである。


仏様の前で、汚い使い方はできまい。

 

 


さらには、その小便器の正面に、


大仏を置けば良い。


ここまでしたら、見られっぱなし。

 

 


トイレの使い方は、大幅に改善されるであろう。


ところで...


申し遅れたが、

 


いまさらながら自己紹介をさせてくれ。

 

 


私は、

 


ゆうまというラッパーである。


私は、あらゆるラッパーのなかで、

トイレの使い方のうまさに自信があるタイプだ。

 


これは、私の母親の教育の賜物である。

 

 


幼稚園の頃から、トイレの使い方だけには厳しかった。

 


どれほど厳しかったかというと、

 


家のトイレで用を足す際、


0.01mlでも的を外し、


消しゴムのカス1粒ほどの液体を垂らすと、

 


母親の怒鳴り声がこだまし、

 


泣かされたものだ。

 


しかも、トイレに行く際に、


「大か小か」を尋ねられる。

 

 

 

 

ラーメン二郎か!とツッコミたくなる。

 

 

 


大と答えると母親は大騒ぎだ。

 

 


小学生にとって、小学校で大をするのは最高に気を遣うことだったが、

 

 


なぜ家でまで大をする際に気を遣わねばならぬのだ。

 

 

 

 

だが、今更になって、思う。

 

 

 


トイレの神様とは、

私の母親のことだったのかもしれない。

 

 

 

 


今でもトイレに行くたびに、

僕がトイレを美しく使えるのは、

母親というトイレの神様のおかげなのだ。

 

 

 

 

 


一日一便。

マナーを守って、本日も素敵なトイレタイムを!

 

 

 

 

※こちらの記事は、2016年2月28日に別の場所で公開した内容を、修正・追記のうえ再掲したものです。