ゆうま「ペニ日記」

韻を踏むペニスによるLove & Penisと性教育。

ゆうまより皆様へ、大切なご報告

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平素より、ラッパーゆうまをご支援いただきまして、誠に有難うございます。


新型コロナウイルス感染症の状況下、
心苦しいニュースが続いていることは、
今更言うまでもありません。


そのような状況下で、個人的なご報告をさせていただくのは恐縮ではございますが、それでもなお、このまま立ち止まってはいられないと思い、こちらの文章にさせていただきました。

 

今年。

令和3年。

2021年。

実は、僕。


ゆうまがRAPを始めてから、
ちょうど「15年」になります。


そう、今年、2021年、ゆうまの活動開始から
「15周年イヤー」を迎えるのです。


_________


思い起こせば僕の活動は、
2006年の11月、UMBの東京予選にて、
右も左もわからずに
マイクを握ったことから始まりました。


2006年といえば、
今のようにスマホTwitterがなく、
新曲の発売や、イベント、サイファー等の情報を調べるのも困難で、YouTubeにMCバトルの動画なんて
ほとんど公開されていないような時代。


当時、高校3年生の僕は、
RAPを始めてみたいけど、
どうやって始めたらいいのかわからない状態でした。


そんなときに、クラスメイトが貸してくれたのが、
UMB2005のDVD。


それは、当時、日本で唯一発売されていたMCバトルのDVDでした(たぶん)


そして見てみた...

うおおおおおおやばい!!!!!!


感動した僕は(スマホがないので)
パソコンを使い、インターネットで、
UMBのホームページを検索しました。


そうしたらちょうど、UMB2006年の
東京予選のエントリーを募集していたのです。


RAPなんてしたことない、
フリースタイルなんてしたことないけど、
僕は勢いだけで、エントリーボタンを押していました。


勇気があったとか、自信があったとか、
そういうことではありません。
勝手に身体が動いていました。


どうやってRAPを始めたらいいかわからないけど
ここならステージでRAPができるんだ。

それだけでした。


数日後、主催のLibraさんから、

エントリー完了の電話が来ました。


声から察するに、おそらく、
MSCの方からのお電話だったと思います。

 

「もしもし、MCゆうまさんですよね?
エントリー決まったので、11月24日の23:00に、
新宿ロフトに来てください。」

 

僕は恐る恐る、質問しました。

 

「あの、僕、実は高校生で、初めてなんですけど、深夜で、出られるんですか?」

 

そうすると、次のような返答が。

 

「でも出たいんだよね?」

 

出たいか、出たくないか。

そんなの出たいに決まってる。

「はい」と答えました。

 

ちなみに当日まで、MCバトルにエントリーしたことは、1人の親友を除き、誰にも話してませんでした。


僕は高校時代、クラスではインキャで、
しかも、かなり厳しいイジられ方をされていたので
MCバトルに出るなんてことがバレたら、
クラスのみんなに馬鹿にされると思ったからです。


でも、2006年の当時は、
MCバトルの動画がYouTubeに上がらない時代。

そもそもMCバトルを知ってる人の方が
少ないような時代。

どうせ言わなきゃみんなにバレないし、
会場に知り合いなんか1人もいないだろう、
と思っていたのです。


しかしそれは、大きな間違いでした。

 

迎えた2006年11月24日、当日。


23:30に会場の新宿ロフトに着くと、 
そこにはすでに開場待ちのお客さんの列ができていました。


出場者の僕は、お客さん用の列の隣の、
出演者用の列に並ぼうとしました。

 

そのとき、何者かに声をかけられたのです。


「カツマタ?????」


(カツマタは僕の本名です。笑)


振り返ると、そこにいたのは、
高1の頃に僕に1番キツイいじり方をしていた
元クラスメイトでした。


彼は、僕を見つめ、驚いた顔で、聞きました。

 

「なんでお前ここにいんの?
 お前こーゆーの興味あんの?」

 

僕は恐る恐る、答えました。

 

「うん、興味、あるん、だよねぇ..」

 

すると彼は、僕が服に  "出演者用のパス"  を
貼ってるのを見て、

「何だよお前!きょう出るのかよ!」

とさらに驚いていました。


最悪の気分でした。


誰にも秘密でバトルに出場するつもりだったのに、
よりによって、僕に1番キツイいじり方をしていた
クラスメイトにバレてしまうなんて!

 

しかも、僕はRAPもサイファーもやったことない、
フリースタイルもできない。


彼は僕の目をまっすぐに見て、
次のように続けました。


「俺さ、実はエントリー応募したんだけど、
抽選で外れてエントリー漏れしちゃったんだよね。
俺さ、自分の名前じゃなくてお前の名前でいいから、代わりに俺に出場権を譲ってくれないかな?」


その日に知ったのですが、実は彼のお兄さんは、
当時UMBの別の予選で優勝するほどの実力者で、
その日も出場していたのです。

 

お兄さんのようにMCバトルに出たいという、
彼の強い思いが、僕にもひしひしと伝わりました。


しかし、僕は、恐る恐る、


「ごめん...それはできない...」


と断りました。

 

 

いよいよ迎えた本番。
僕がステージに立った瞬間。

 

自意識過剰かもしれませんが、
観客からは冷たい目線を感じました。

 

それもそのはず。

 

ほとんどの出場者や観客が、
ダボダボのビーボーイファッションをして
深くキャップをかぶっているなかで、
僕だけはXSサイズのTシャツにピチピチジーンズ、
黒のとがった革靴に、長髪。

 

当時の僕は、ギャル男に憧れてるけど
全然ギャル男に見えないインキャ、

めっちゃ痛い子みたいな見た目だったのです。


「レディ、ファイト!」

いよいよ試合が始まります。

 

対戦相手は、ダースレイダーさんのダメレコ所属、
当時バトルがめちゃめちゃ強かった、CUTEさん。

CUTEさんが先攻で、僕が後攻。


僕は相手のバース中、相手のRAPを聞く余裕がなく、
ただひたすら、8小節を間違えないように、
右手の指で、1,2,3,4と、小節を数えていました。

 

自分のターンが来た時、フリースタイルなんてできないからネタを披露しました。

 

「俺は演劇部 でもRAPも全然できる」
「俺は舞台役者 演技できる全然歌えなくちゃ」

 

そんな韻だったと思います。

 

韻としては悪くない韻なのですが、
それ以前に、マイクの握り方もわからないし、
演劇部だったくせに声も通ってないし、
とにかく滑りまくりでした。

 

対するCUTEさんは、ものすごい声量で、
RAPの基礎体力とスキルに圧倒的な差がありました。

 

結果は、当然のことながら僕のボロ負け。

 

司会のMASTERさんは、

「いやぁ役者さんも出てきてくれましたねぇ〜w」

などと僕をフォローしてくれましたが、

300人の観客の前で無残な負け姿を晒してしまった。

 

僕は居た堪れない気持ちになり、会場から逃げたくて逃げたくてしょーもない思いでした。

 

わかってはいたことだったけど、ボロ負けだった。

 

そして、その姿を、僕のことをキツくイジっていたクラスメイトに見られ、恥をさらしてしまった。

 

彼が僕の代わりに出場していたら、よかったのかもしれない。

 

彼に合わせる顔がなく、バトルの後は彼に会わないよう、会場の端っこの方で息を潜めました。

 

ちなみに、彼のお兄さんはその日、ベスト4でした。
その日優勝したのがPUNPEE氏。

 

僕と同じく、PUNPEE氏は全くビーボーイらしいファッションをしておらず、むしろアキバ系、を売りにしていました。

 

ただ、PU NPEE氏はRAPが超絶上手く、さらにユーモアもあって、イカツイラッパーたちを次から次に余裕で薙ぎ倒していきました。

 

負けて死ぬほど悔しかったけど、その日、PUNPEE氏の姿に、とても勇気をもらったというのを覚えています。

 

 

 

こうして当日を終えて、土日を挟んで、月曜日。

高校への登校日。

 

僕は学校に行くのが死ぬほど嫌でした。

 

あんな姿を見られてしまったんだ。


学年中に噂が広まって、絶対バカにされるに決まってる。

 

その予想はその通りでした。

 

クラスで友達に顔を合わせた矢先、
思い切り意地悪な表情で、

 

「おお!MCゆうま!お前のエセラップを見せてみろ!」

 

と死ぬほどイジられました。

 

もううんざりだ。


MCバトルなんて二度と出るもんか。

 

不幸中の幸い、MCバトルでの敗退をネタに学校でイジられたのはその1回きりでしたが、

 

高校卒業までの間、僕は「例のクラスメイト」には会わないよう、ずっと逃げていました。

 

彼に合わせる顔がなかったからです。

 

会ってもどうせ馬鹿にされるだろうし、
「ほらみろ、出るべきじゃなかったんだ!」と
怒られるかと思ったからです。

 

MCバトルなんてもう出るもんか。 

 

 

 

 

 

 

 

それから4ヶ月後の、2007年3月のこと。

不思議なものです。

 

 

僕は、UMB2007の静岡大会に、エントリーしていました。

 

静岡なら、どうせクラスメイトも見に来ないだろ、
言わなきゃバレないだろ、なんて思いながら。

 

迎えた当日、本番。
結果はボロ負け。

 

でも、そこで僕は、初めてラッパーで先輩と呼べる人に出会うことができました。

 

彼についてはまた別の場面で書きますが、
彼のお陰でサイファーに参加して、練習できるようになりました。

 

 

 

 

 

 

それから3ヶ月後。2007年6月。

 

渋谷esというクラブにお客さんとして遊びに行った時、

 

何者かに声をかけられました。

 

「カツマタ!!!!

いや、MCゆうま!!!」

 

振り返ると、いたのは、あのときの、例のクラスメイトでした。

 

彼はこう続けました。

 

「俺とバトルしようぜ!

 あ、いや、やっぱり、サイファーしようぜ!」

 

彼が笑顔でそういったのが嬉しくて、僕も笑顔で、

 

「もちろん!」

 

と答えました。

 

気付けば即興で韻が踏めるようになっていた僕。

 

「渋谷サイファーから三ツ矢サイダー飲んできたぜ」

「俺がカツマタお前がムラカワ 見たいのはお前の裏側」

 

 

今思えば大した韻ではありませんでしたが、

僕が韻を踏むたびに、彼は手を上げて、


「ゆうまやばい!!!」

 

と褒めてくれました。

 

その瞬間は、心の中の氷が溶けていくような瞬間でした。

 

僕が大好きな音楽は、


とても懐が広かった。

 

それから1ヶ月後の2007年7月1日。


僕は、人生初めてのライブの日を迎えました。

_________________

 

長文になりまして、ごめんなさい。

 

ここまで読んだくださった方、ほんとうに、
ほんとうに、ありがとう。

 

心より顔射申し上げます。

 

前述の通り、2006年のあの日の出来事から、
15年の月日が経ちました。

 

はじめてのMCバトルから今年で15周年
はじめてのライブから来年で15周年です。

 

そこで、2021年-2022年を、


ゆうま 15th Anniversary Yearと題しまして、


1年間かけてゆうまの活動を総括するような、
様々な企画を行いたいと思います。


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そこで、まずは、15th Anniversary Yearの
開始を記念して、ワンマンライブ&誕生日会を
行います。

 

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ぜひ、遊びに来てください。

 

その他にもすでに沢山の企画が決まっております。

 

例えば、活動15年間のなかのアレを復活させたりとか、あの人とコラボしたりとか、あんなことやこんなことをやってみたりとか。

 

お楽しみに!!!!!!!

 

ゆうま